ノウシーン・ハーン(本作監督)
プロフィール
現代における紛争や政治不安の中で、ジェンダーの視点をテーマに活動するインディペンデント映画作家。最近の関心事は、カシミール地方の女性と子どもの問題である。暴力と紛争がカシミールの若者に与える影響について共同制作した映画『Pushed to the Wall』(2019)は、2020年にオーストラリア現代美術センターのNIRIN NAARMで上映された。本作『わたしの聖なるインド』は、初めて自費制作した長編ドキュメンタリー映画である。 2023年、山形国際ドキュンメンタリー映画祭で市民賞(観客賞)、ケーララ国際ドキュメンタリー・短編映画祭(インド)のコンペティション部門で長編ドキュメンタリー賞を受賞した。








五十音順・敬称略
支持を集めるためにムスリムへの憎悪を煽る政治が、いかなる事態を招くのか。イスラモフォビアが蔓延する本国ではもはや他人事と思えないその帰結に背筋が凍る。権力者はその責任を負わず、マイノリティが一方的に苦しめられるばかりで、横たわる現実はあまりに不条理だ。それでも「この国にいたいなら慎め」というマジョリティの呪縛を打ち消すような、団結した女性たちの非暴力の抗議運動には微かな希望が灯る。「今、傍観していたら何も言えなくなる。行動しないと」という彼女たちの言葉は、国境を越えて、私たちにも向けられている。
ISO
(ライター)
この作品は、インドの市民権改正法という大きなテーマを扱いながらも、一人の人生の選択や葛藤を通して、その現実を静かに映し出している点が印象的でした。
私自身は食を通してインドに触れてきましたが、同じ国の中に、これほど多様な背景や想いが存在していることを改めて考えさせられます。
特定の立場に寄るというよりも、「知ること」「想像すること」の大切さを感じる作品でした。
印度カリー子
(スパイス料理研究家)
「私たちのインドはこんな国だったの?」
属性による排除や分断が進む社会へと投げかけられた疑問は、インドだけのものではない。
これは特定の国の宗教や政治の話ではなく、人間性のもとに連帯する名もなき市民の希望を描いた映画だ。
軽刈田凡平
(インド音楽ライター)
『国家が人を選び始めるとき、何が起きるのか』
ある日突然、
自分の存在を証明しなければならなくなる。
その不安と恐れは、想像を超えている。
制度の変化は、決して紙の上だけで起きるのではなく、
社会の「空気」をも変えていく。
声をあげれば「反逆者」と見なされ、
やがて人は沈黙を選ばざるをえなくなる。
その静かな圧力が、
この作品には確かに映し出されていた。
とりわけムスリムの人々、
そして女性たちは、より弱い立場の中で、
自分の居場所を問い続けなければならない。
それでも日常を生きながら、声を枯らさない人々。
「自由とは誰のものなのか」
「この国は誰のためにあるのか」
この作品の問いは遠い出来事ではなく、
いまを生きる私たち自身の問題として受け止める必要がある。
サヘル・ローズ
(表現者)
山形で上映された時は、「インドのリアルな姿がわかる傑作」として興奮した。だが観直してみると、近年、人々の怒りや祈りをそのまま掬い取った作品は静かに増え、世界中に点在し、互いに響き合いながら、圧政や差別、虐殺に抵抗する“映画による共和国”を形作っているようだ。生命の危険を顧みず、自らの出自でもあるムスリムと女性たちの抵抗運動をカメラで曝け出した監督に、心からの敬意を表したい。必見のドキュメンタリー。
夏目深雪
(映画批評家)
人権侵害を訴える非暴力の抵抗運動はどうしていつも暴力的な仕打ちに合うのでしょう?
時代や国を問わず、こういったことは普遍的な問題で、他人事ではない。
ピーター・バラカン
(ブロードキャスター)
「私たちは慎みも知っているけど、声の上げ方も知っている!」
ブルカを身に纏いながらインド国旗を掲げて憲法を読む女性たちの姿に衝撃を受けた。100日間・24時間道路を占拠し民主主義を叫んだのは、ごく普通のイスラム教徒のお母さんたちだった。
2020年のデリー暴動は単なる宗教闘争ではなかった。彼女たちが座り込んだシャヒーン・バーグは、平等と人間解放の砦であり、発せられた言葉は愛情と結束に満ち、謳われたのは希望の歌だったことを若き女性監督の目を通して知る。辺野古闘争初期のおばあたちの座り込みがオーバーラップし、何度も胸が詰まる。
男性記者の「報道」からこぼれ落ちる歴史の胎動を掬い上げるのは、やはり女なのだ。世界のドキュメンタリー界で活躍する女性監督たちから目が離せない。
三上智恵
(ジャーナリスト/映画監督)
為政者たちは時に特定の集団を「暴徒」「国賊」と恣意的に貶め、差別を政治の道具として振りかざす。家父長制にすがる者たちは、女性たちに「指図」し優位に立ちたがる。この映画で描かれていることは、果たして「遠い」話だろうか。イスラモフォビアの扇動は、私たちのすぐ隣でも起きているのだ。
安田菜津紀
(Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)